2022-09-11

第14回JIBT 国際カジキ釣り大会

14th JAPAN INTERNATI0NAL BILLFISH TOURNAMENT

開催期間1992年7月23日 – 25日

7月22日より25日に渡り、JGFA主催『第14回JIBT(国際カジキ釣り大会)』が伊豆下田で開催されました。日本におけるビックゲーム・トーナメントの記念すべき幕明けは、『マーメードアングラーズクラブ』と『東京マーリン&ツナクラブ』の呼びかけにより『東京トローリングフェスティバル』という名称で1979年、伊豆三宅島をベースに開催されたことにその源を辿ることができます。以後、この14年間で国内におけるビックゲームマニアの数は急増し、ここ数年、各地でビッグゲーム・トーナメントが開催されるようになりました。それらはJIBTを範とし、JIBTはまたハワイのHIBTを範とすることでそのスタイルを形成してきたのです。今大会ではJIBT史上初の「タグ&リリース」が記録されるなど、同大会の今後の新たな展開を予想させる、実に意義ある大会となりました。

タグ&リリースがゲーム展開の中心に!

1st Day
トーナメントに先立って行なわれた海域調査では、所々で25° C以上の潮温が記録され、水色もトーナメント海域の中心部では良好。関東地方は7月20日に梅雨明けが宙言され、絶好のコンディションの中、参加95艇のスタートフィツンングとなりました。
午前10時18分、「中日トローリングC(B)」のチャーターボート「静栄丸」からクロカジキ(パシフィック・ブルーマーリン)のフックアップコールが入りました。場所はエリア3のイロウアワセ。アングラーの板野勇次さんにとってはファーストマーリンです。 ラインは24 kg(50 Lb)。 しかも、「同船には船長とアングラーの2人だけしかいないという状況である。ファイトタイムが2時間を経過した頃から、ラインが真下に入ったまま動かなくなり、魚が死んでしまったのではないかと噂されます。そこで、JGFAの南川さんが「静栄丸」に移り、アングラーにアドバイスを与えると同時に、ランディングに備えることになりました。
あと30mのコールがあってから約40分後、ようやく南川さんの手がリーダーにかかり、船長のギャフがカジキに掛かりました。4時間25分に及ぶファイトタイムの末に上がった魚は72 kgのクロカジキでした。しかし、板野さんはファイトの途中でロッドをロッドポストに置いたことを自己中告し、失格に。
この板野さんのファイト中の午前10時58分「横浜ビルフィッシュC(B)」がエリア8のヒョータン西でマカジキ(ストライプト・マーリン)をフックアップ。アングラーの上田幸二さんは37 kg(80 Lb)ラインで推定30 kgのマカジキを17分のファイトタイムでキャッチするが、ダブルフックが重なっていたということでこちらも失格に。

2st Day
午前9時54分、初日AGFTの部で唯一ポイントを得た「マングリンSFC」のゲイヴィン・ジョーンズさんがエリア9タカネでフックアップ。ファイトタイム16分、24 kg(50 Lb)ラインで推定40 kgのマカジキをタグ&リリース。
その後「セントラルSFC(シルバーシャーク)」がエリア6のイカ場沖南でフックアップ。アングラーは古茶重さん。24 kg(50 Lb)タックルで推定55 kgのマカジキをタグ&リリース。JIBT史上初の日本チームによるタグ&リリースとなりました。
午後12時45分、JIBTウイニング・アングラーの佐志田徹さん率いる「江ノ島BFC(A)」の「メジロ」かぅフックアップ・コールが飛び込むが、30分後にバラシ。その後も、「片倉FC」「テケテケFC」からフックアップ・コールが連続するが、キャッチにはいたりません。
午後1時20分、再び「シルバーシャーク」からフックアップ・コール。アングラーは大西浩司さん。ラインは24 kg(50 Lb)。アングラーにとってはファーストマーリンということだが、ベテランチームらしく,巧みなクルーワークで魚を寄せ、2本日のタグ&リリースを決めました。
また、午後1時48分には「フィリピンGFC」の「パインウェル」からフックアップ。
コール.アングラーはAGFF(アジアゲームフィツンユ連盟)会長のビクター・ビラビセンシオさん。ファイトタイム11分で推定40 kgのマカジキをタグ&リリースした。ストップフィッシングを20分後にひかえた午後2時40分、「セーバーFC」の「サマークイーン」がクロカジキをフックアップ。キャプテンの亀井武さんがアングラーとなり、ファイトタイム30分で推定120 kgのクロカジキをタグ&リリースしました。
2日目はタグ&リリース計5尾(クロカジキ1尾、マカジキ4尾)を記録し、各チームのポイントも出揃った形に。2日日までのスタンディングは、マカジキ2尾をタグ&リリースして20「ポイントを獲得した
「セントラルSFC(シルバーンヤーク)」と、クロカジキ1尾をタグ&リリースして200ポイントを獲得した「セーバーFC(サマークイーン)」が並んだ。次に初日の12.7ポイントにマカジキ1尾のタグ&リリースをプラスして112.7ポイントを獲得した「マンダリンSFC(ビルゴ)」が続き、最後にマカジキ1尾をタグ&リリースした「フィリピンGFC(パインウェル)」が100 ポイントを獲得し、最終日を迎えました。

3rd Day
午前10時30分、最初のフックアップ・コール。潮の関係だろうか、毎日午前10時30分頃かうと午後1時30分頃からにストライクが集中するようでした。
「東京ボートFC(ブルーウイング)」からエリア3のイロウアワセでファイト中とのコールが飛び込んできました。アングラーは中沢武夫さん。37 kg(80 Lb)ラインによるランディングは153.3 kgのシロカジキであった(今大会の最大魚)。このファイト中にも、各チームから続々とフックアップ・コールが入った。まず、「ブルーマーリンC(フェニックス)」がウドネ出しでマカジキをタグ&リリース。アングラーは森部一人さん。他にも「クラブ・ブルータイガー(ブルーアーサー)」がイロウアワセ南でクロカジキをタグ&リリース。アングラーは宮本清さん。また、「多香千代クラブ(多香千代)」のキャプテン松方弘樹さんも37 kg(80 Lb)ラインで80 kgのクロカジキをランディングしました。
この他にも、「ヤンマー・ドルフィンチーム」もフックアップさせたが、魚が死んでしまい、アングラー1人でのファイトが不可能になり、失格という結果を迎えました。
そして、実に残念だったのが「アランビックFC(アランビック)」。ストップフィッシングのコール数秒後にストライク。 ノーカウントとはいうものの、ランディングされたクロカジキは114 kg。
最終結果は、200ポイントで3チームが並び、抽選で順位を決定することになりました。抽選による順位決定の是非は別としても、高いタグ&リリース・ポイントの設定により、上位にタグ&リリースを実行したテームが乱立する結果となりました。いずれにせよ、タグ&リリースを中心としたゲーム展開が初めて日本で成立したわけで、今大会は今後のトーナメントの方向性を決める上でも重要なターニングポイントになったと言えるでしょう。

TOUNAMENT RESULT
チーム総合
1位:クラブ ブルータイガー200ポイント
2位:セントラルスポーツFC 200ポイント
3位:セーバーFC 200 ポイント
個人総合
1位:亀井 武(セーバーFC)200ポイント
2位:宮本 青(クラブ フルータイガー)200ポイント
3位:仲沢 武夫(東京ボートFC-B)153.5ポイント
(同点は抽選で順位決定)

最終日、ストップフィッシングのコール直後に来た私のファーストマーリン

それは2秒後に始まった・・・。
第14回JIBTに参加した我々「アランビックFC」は最終日、あと1分でストップフィッシングというところまでの3日間、まるっきりのノーヒットであった。
クルー達は諦めの色を隠せず、自分の担当しているロッドを片付ける準備に入った。「ただいまをもちまして・・・」無情にもスピーカーからタイムアップの無線が流れた。
私も無線と同時にルアーか回収すべくリールに目をやると、なんとラインが出て行くではないか。無線はまだ全部終わっておらず他のリールを巻く音で誰も気づいていない。
「来た!魚!魚!」私が叫ぶ終わる前にいきなるジャンプ!ロッドも持ってチェアーに移動する間にも2回ジャンプ。初めて生きたカジキを見たクルーはしばしルアーを回収するのを忘れて見とれてしまっている。
「アランビック、ヒットしました!」慌ててキャプテンがマイクに叫ぶが当然タイムアップ後のため、大会審査対象にはならず、ならば時間は気にせず確実にキャッチしようと意見がまとまる。そして、自画自賛したくなるほどのタイミングのフックアップ。ライン、リール、ロッドは毎日のようにチェックしているので心配はない。一番心配だったフックアップだが、それもバッチリだ。
10mぐらいまで寄った魚が急にボートに向かって来た時は少し慌てたが、キャプテンの操船でその難も抜けた。
約40分のファイル、魚はだいぶ疲れている。キャプテンの合図でランディングに入る。
魚はほとんど無抵抗でボート上に横たわった。近くまで寄ってもすぐにランディングせずに疲れさせた作戦の勝利である。
フルストットルで帰港すると、予想以上のプレスとギャラリーに戸惑いながらも目尻は下がりっぱなし。
計量結果は3m60cm、114.6kgのクロカジキであった。腹を裂いた時洗い流した多量の血が惜しまれた。
大会の記録には残らないが、記念すべき私のファーストマーリンと共に、お立台の上で写真におさまるなんて大満足である。

最後にキャプテンの市原氏、クルーの面々、そして、このようなチャンスを私に与えてくれた神に心から感謝します。と、オスカーか、グラミー賞の受賞者よろしく決めたところでペンを置こう・・・。

出典:SportAnglers 1992年No7

関連記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です