2022-09-12

第15回JIBT 国際カジキ釣り大会

開催期間1993年7月22日 – 24日

今回で15回を迎えたJ.I.B.T.は、7月21日~24日にかけ、静岡県下田港をベースに開催されました。(出場チーム:94、選手数:393名)JGFAの15周年となる今トーナメントでは、それを記念して、 7月21日の前夜祭では盛大なる仮装パーティがホテル伊豆急を会場に催され、たいへん盛り上がり、明日からのトーナメントにいよいよ期待が高まりました。ところが、梅雨明けが遅れ、太平洋岸には前線が停滞し、北東の風が強く、また、水温も20℃ ~22℃ 台で大変低かったがために、海上のコンディションは今までになく最悪に近い状態でした。
案の定、 7月22日(第1日目)は、10:00AMのロールコールまで全チームまったくカジキがヒットなし。しかし、この悪条件下、「テケテケF.C」がトーナメント海域の南端にあたるヒョータン南西10kmのところでマカジキをヒット。続いて東北岩手県よりはるばる参加し、チャーターボートの光明丸に乗り込んだ「さんりくグランダーズ」がマカジキをダブルストライクさせ、ホッとしたのもつかのま、両チームともバラしてしまい、当日は、その後まったくアタリなく、終了。
2日目も、海域の状況はまったく変化なく、いよいよ北東風は強まるばかり。この中で、10:00 AM「多香千代クラブ」が100kgオーバーのクロカジキをやはリトーナメント海域最南端でかけ、ランディング寸前のところでリーダーブレーク。その5分後にもほとんど同じ海域で、「ハマF.C.」が50lbラインで100kgクラスをヒットさせたが、これも28分後にバレてしまいました。
この日もその後、まったくカジキはヒットせず、ついに2日間ともカジキはあがらず大会史上、最低の状況に。
折からの悪天候に輪をかけるようにして、台風4号接近のニュースが入り、このため3日目は残念ながら中止となってしまいました。
結局、15周年記念トーナメントは、こうしてトーナメント史上最低の結果となってしまいましたが、ハワイからは、JGFAの設立のきっかけを作っていただいたスタンレー・ハラ元ハワイ州上院議員、サミュエル・ササイ氏のお二人にも来ていただき、また、海外チームとして、オーストラリア(モートンベイG.F.C.)のロスウッド氏、香港(マングリンS.F.C.)のノエルジョーンズ氏親子らが参加し、国際交流に華を添えました。
来年はどうぞよい天気、よい潮にめぐりあえますように。また、大会の運営費の一部をJIBTより北海道奥尻島の地震被災地へ、日本赤十字を通じて10万円を義援金として寄付することになりました。


後 援:下田市、下田市観光協会、下田市漁業協同組合 他
特別協賛:株式会社シマノ、マミヤ・オーピー株式会社、株式会社ヤナセ、ヤマハ発動機株式会社、ヤンマーディーゼル株式会社

出典:JGFAニュース1993年 No15

神々不在の海、沈黙の海にアングラーも意気消沈

下記はSportAnglers 1993年 No.17からの記事となります。

日本のビルフィッシュ・トーナメントの範となり、国内におけるカジキ釣りの趨勢を占う上で大きな指標となり続けてきたJIBTは今年で15回目を迎えた。
記念すべき大会ではあったが、台風の接近と例年にない低水温の影響で釣果はゼロ。さらに3日目のフィッシングは中止となるなど惨惰たる結果に、アングラーは一様に浮かない表清だった。
7月22日。初日のフィッシング・デイは、天気晴朗なれど北東の強風吹き荒れる最悪のコンディションで始まった。午前8時のスタートフィッシングから1時間も経たないうちに帰港するチームもいたほどである。
フィッシングエリア内の潮温も18.3°Cから最高でも22°C程度といった状態で、22° C前後の海域を目指すにはヒョータン周りの海或からフィッシングエリアの南限ギリギリの線まで南下するしかなかった。高波と強風の中でのこの条件は実に厳しいものである。
結果、 この日は午前10時30分に「テケテケFC(キャプテン金子紀昭氏)」が138° 53E、34° 17N付近でマカジキをフックアップしたものの400~ 500m程ラインを出された後にブレイク。そして11時52分にほぼ同一地点で岩手県大船渡から初参加の「さんりくグランダーズ(キャプテン志田吉彦氏)」がチャーターボート「光明丸」でマカジキのダブルストライクを得たものの、 リーダーブレイクとバラシという結果に終わってしまった。
翌2日目は、前日の数少ないストライクエリアにボートが集中した。北束の強風の中、10時40分に「多香千代クラブ(キャプテン島田誠一氏)」がクロカジキをフックアップ。アングラーはオーストラリアでグランダーを釣ったこともあるベテランの大東伝也氏。
フィッシングエリア最南端でのファイトであった。約30分で推定100kgのクロカジキを寄せリーダーを取ったもののカジキの余力は充分で、盛んにジャンプを繰り返すうちにトランサムステップにラインが掛かり、あえなくラインブレイク。そしてその5分後、11時20分に同一海域で今度は「ハマFC(キャプテン野尻久男氏)」が同じく50 lbラインで推定150 kgのクロカジキをフックアップ。
アングラーは中元寺一郎さん。しかしこのカジキは約30分のファイトの後にフックが外れてバレてしまった結果、初日93チーム、2日日94チーム、各400名に及ぶアングラーが延べ700本に及ぶルアーを流したものの、ヒットはマカジキ3尾、 クロカジキ2尾、その何れもかバラシという結果に終わってしまった。
前夜祭の仮装パーティーは大きな盛り上がりを見せ、ビルフィッシャー達の歓声に包まれた「ホテル伊豆急」ではあったが、そのエピローグは実に寂しいものであった。しかし、下田を後にするビルフィッシャー達は、既に来年の夏に想いを寄せていた。
Fishlng is like this.されど、我らが下田…。

出典:SportAnglers 1993年 No.17

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