2022-08-12

石井宏尚さん(元JGFA副会長・元国際交流委員長)

日本のカジキ釣りに関しては、やはりハワイのHIBTの影響がとても強いです。ハワイ島のカイルアコナにピーター・フィジアンという人がいまして、米国ノースカロライナ州にあるデューク大学を出た後、海辺にあるコナ・インというホテルのマネージャーをやっていました。彼はつねに、この離島の観光振興のためには何ができるか? また自分が愛するカジキ釣りの新しい方向性、すなわちIGFAルールに基づいたスポーツフィッシングの普及定着を図るにはどうすれば良いか、考えていました。そうやって1959年に誕生したのが、ハワイアン・インターナショナル・ビルフィッシュ・トーナメント (HIBT) なのです。優勝しても賞金などはいっさい出ず、もらえるのは木製の像だけ。名誉と友情だけが得られるという、インビテーションに基づくジェントルメンズ・トーナメントですね。日本のJIBTも、このハワイの大会が掲げる理念やフォーマットから、多くを学んでいます。

石井さんの親友、ノエル・ジョーンズさんとご家族。HIBT にて (1984)

JIBTが軌道に乗り始めた頃、大会実行委員長であり JGFA会長だった大西英徳氏が、IGFAのトラスティーに選出されました。協会の活動方針を受け、世界各地で展開を担当するキーパーソンですね。「アジア各国で、スポーツマンシップとアマチュア精神に基づいた、ルールに則る釣りを普及してください」というIGFAからの依頼の下、大西さんはアジア・ゲームフィッシング・フェデレーションという組織を作り、フィリピンのヴィック・ヴィラヴィセンシオという人を会長に据えました。そして、IGFAルールや理念、トーナメント運営方法など、情報が少ないアジア各国のアングラーたちをJIBTに呼び、研修の場としても活用したのです。彼らは自分たちの国に帰ってから、漁業とは一線を画したスポーツフィッシングの振興に貢献してくれたと思います。会員の国籍は、台湾、フィリピン、香港、マレーシアなどでしたね。このような国際的努力は、アジア圏では初めてのことだったのではないでしょうか。

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